酒造りの始まりは明治初期
関東菅領方扇谷上杉家の家老太田道灌を遠祖にもつ太田家。三代将軍家光の時代、道灌公から数えて六代目の子孫太田正長が、幕命により越前福井藩から近江草津へ移住し、草津宿の政所としての公務を果たしながら、裏で大名の動静を探る「かくし目付」として幕末まで役割を果たしました。そして明治維新後の明治七年に酒造りを始め、今日に至ります。
沿革
1874年
明治7年
創業
1928年9月
昭和3年
太田合名会社設立
1949年8月
昭和24年
東京工場建設
清酒 製造免許取得
1955年7月
東京工場 焼酎甲類製造免許取得
1956年12月
東京工場 原料用アルコール製造免許取得
1957年3月
東京工場 原料用アルコール製造工場建設
1958年11月
灘工場 東灘区に用地購入
1959年8月
山口県田中酒造(株)買収
1959年9月
果実酒、甘味果実酒製造免許取得(陸前高田市神田ブドウ園より譲り受け)
本社工場にて果実酒製造開始
1962年10月
灘工場 工場建設、酒造りに着手
1963年5月
太田合名会社より営業権を譲り受け、太田酒造株式会社を設立
1964年
東京都工場公害条例によりアルコール製造を休止
1976年6月
栗東工場(鉄筋コンクリート)竣工
本社より甘未果実酒製造免許移動
果実酒製造場新設
1981年4月
本社に久邇宮殿下ご夫妻を御迎え
1983年6月
栗東工場 ブランデー製造(蒸留釜2基竣工)
ブランデー免許移転、1000ℓ国産銅製ポットスチル新設
1989年1月
平成元年
本社 道灌蔵竣工
1999年10月
本社 不盡蔵竣工
2011年8月
平成23年
栗東工場 新ワイナリー竣工
スパークリングワイン製造開始
2012年2月
本社社屋全面改築終了
2014年9月
灘酒プロジェクト9社の一員として「灘の生一本」を販売予定